ある方がリーディング(個人セッション)を受けられた際の出来事
彼女は以前、私の「お話会」に1度だけ来られた事があったと。 初めて交わす言葉。 一通りリーディングの説明を。 背後に居らっしゃる方々(神さまたち)の送られてくるモノをそのままお伝えする事。決して私たちが知りたい事、得たい答、を受け取る為のものでは無く、向こうの世界から見た「重要」だとされる事をお伝えするだけの事である事。 最初は漠然としているキーワードばかりなので、それを一緒に何を言わんとしているか、探りながら理解を深めて行っていただく事。質問は最後にしてもいいが、答えを期待しない事。
一通り話し終わると、直ぐに彼女の左隣から、火の神「アグニ」が出て来られた。

毎回思うのだが、神々の姿は本当に美しい。
一見すると、形相は激しく、憤怒だったり、異形だったり、「美」そのものだったり様々だが、その姿から感じる「本当の美しさ」は言葉に表すことが出来ないくらい美しく、心がギュッ、と鷲掴みにされたような、深い味わうことが出来る「本当の美しさ」だ。
その昔、プラフラーダが、ナーラーヤナ神が恐ろしい憤怒の異形であるナラシンハの姿で柱の内側から現れ出て来た時に、その美しさと、直ぐに自分の目の前から消えてしまうのでは、と言う思いから震えながら平伏した、それが理解できる。
火の神「アグニ」は私に、以前彼女の家を彼の火で焼き尽くし、ゼロ(0)に戻した事を告げた。
私は彼女に、家が燃えて全焼した事があるか? 尋ねると、驚いた様相で、実際にご実家が全焼し、それが切っ掛けで家族が離散した事を話された。
火の神「アグニ」は、掛け違えた人生について話された。 掛け違ったボタンは、最終的には大きな過ちとなって形に残り、完了した後はそれをやり直す事は難しい、と。 掛け違ったその時点で、早い内に一旦「ゼロ0」に戻し、最初からやり直す事の必要性を説いた。
そのリセットには躊躇は必要ない、と。
現実的な「幸せ」「愛」は、進むべき本当の道であるか?疑問を持つことも必要かもしれない。 一般的な幸せの工程が、本当は、向こうの世界から見たら決して幸せな結果をもたらしている、とは言い難いかも知れない。 だから、私たちは、私たちの固定概念で決めつけてしまっている「幸せの形」を脇に置いて、真実を探し続ける手を緩めてはいけないのでは、と思う。
彼女はその話を聞いて、子供孫の事を思うと、本当に最善の結果が残ったのだ、とうなづいた。
次に、もう一方の神さまが来られ、テーブルの上に、私の目の前に~10cmくらいの厚みの札束を見せて言った。
「彼女は以前、大きなお金を失ってしまった。」
「その罪の意識を彼女は抱えたままだ」、と。

彼女にその事を話すと、ハラハラと涙を流しながら、数年前の自身の失態を話した。 自分の間違いで家族に大きな負担を掛けさせてしまった事。 今も申し訳ない気持ちでいる事。など。
神々は話しかける。
前世で大きなお社?仏閣?を建立する提案を持ちかけた彼女(前世では男性だった)は、全国から集まった寄付金が、建立するに有り余る金額で、その残った差額を自身の財産にした経緯がある為、今世で大きなお金を損失する原因が生じ、結果が生まれた、と。
そして、同じく、その借金を肩代わりした家族もまた、個別の人生でそれぞれ、他の人のお金を着服した経緯があった事。それぞれの原因と結果が現れた事、を話された。
そして続けて言われた。
人生で、自己反省を伴う出来事に直面し、罪悪感を引きずった人は不幸か?
否。
その経験が今までの生まれ変わりの中で、一度も克服できなかった「傲慢さ」からの脱却、と言う「偉業」を成す奇跡を起こすことが出来る、と。
これこそが「真の幸福」なのだよ、と。
「傲慢」こそ、人間が持つ最大の歪かも知れない。
そして、その罪悪感を10年近く持ち続け、そして今日、そのカルマ(過去の跳ね返り)からの束縛から自由になる、その記念すべき日である、と。
奇しくも、土星と木星が交差するこの時、暗示では「物理的なモノが破壊される」とある。 正しく、彼女は、物理的な関係に関しての行動から来る、反動の束縛の鎖に縛られた(罪悪感に縛られた)その鎖から脱却して(なぜそれが起こていたのか?起こる意義・意味への理解)、謙虚さと言う神さまからの宝を持ったまま、人生の後半へ進んでいく、そのリスタートのこの日だと。
今日から、新しい人生、新しい自分が始まったと思って、と伝えると、彼女はハラハラを再び涙を流された。
ずっと重しの様に心の中に圧し掛かっていた罪悪感。 伴い、恨みや怒りも。 この感情は、間単には消えるはずが無い。それは当たり前のことだ。

ただ、真実に沿った視点で、起こった出来事、これからの人生、を見、考えることが出来た時、初めて心を覆っていた重い鎖から解き放たれる、真の「自由」を勝ち得る事が出来ると思う。
これは簡単には手に入らないかもしれない。
何年も、何十年もの「忍耐」と言う神さまからのプレゼントを、勇気を持って受け取る、その決意と、実際の行動が、この「絶対自由」と言う恩寵を手に入れることが出来る「切符」を頂けるのかな、と。
イエスをはじめ、それぞれの神の化身たちが降臨した理由の一つ一つが、単純な「愛」と言う言葉だけを広めるだけを目的にしていた訳でなく、すべての人々に理解できる彼らの物語や言葉を通して人々の心の中にメッセージが入り込み、頑になり始めている私たちの思考と心の扉をこじ開けてくれるように、心から祈ります。
シリアの、チベットの、ウイグル地区東トルキスタンの、香港の、民族の誇りを踏みにじられた方々の、祈りと心の声が届き、彼らが守られ、導かれ、住む場所が与えられ、温かい食べ物が万遍無く与えられ、体を温めるモノが行き届き、平和な心でいられる日々が訪れます様に。 心から祈ります。
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